essay : 写真データって

WEB上における写真データの価値

今日の写真は、上野へフェルメール展を見に行きまして、その際に軽くスナップしたもの。RX100M3で撮っているので、れっきとしたZeiss写真であります。


 

このブログ、基本的に延々とZeissレンズで撮った写真を投げまくっているつもりだったのですが、恐らく読んで下さっている方はもうちょっと使いこなしの方についてもお知りになりたいんでは? という気がしてきました。

レンズ作例ぶん投げ系のカテゴリーはレンズごと、メーカーごとに作っているのですが、それ以外に現在「essay」「accessory」というカテゴリーを作って写真作例のみではない部分についても言及しています。
RX100ブログの時にならって、もうちょっと使いこなし側の事も、と考えると、カテゴリーはなんでしょうね。tipsくらいの気軽さが良いかな。ブログの使いこなしの見地からすると、Zeissレンズの扱い方みたいなところだけで終わる話ではないので、結局はessayに統合してしまうのが一番かもしれません。

 

 

 

ちなみに最近詳しい方に教えてもらって知ったのですが、Googleのアルゴリズムは写真の良し悪し、希少性などを判断する能力を持っていないそうでして、ブログの質を判断するのに写真の量とテキストの量で比べると、テキストの方を重視しているそうです。

写真で食っているこちらからすると、この1カットにどれだけの心血を注いだか……! と思うのですが、考えてみればiPhoneで撮ったものでも、ネット上からパクってきたものでも、WEB上のイメージという意味では等しいわけです。

そうやって考えてみると、写真の質の判断っていうのはだいぶ難しいものですよね。

 

個人的には、オールドスクールの「写真」を志向するからデジタルは全部ダメだ! とか、東京カメラ部はキャッチーすぎてダメ! ということは一切ありませんで、単に写真としてダサければダサいじゃない、というだけのスタンスに立っています。

 

どこまでが写真として認められるか? というのはまだ新しいデジタル技術が出てくれば揺れ動いてしまうものなので決定できていませんが、ある程度は身体性が含まれていること、というラインで感がています。個人的にはなので、他の方が違うことを言ってもまったく文句を言う気はありません。日本の写真市場、写真業界は、ごく一部の芸術写真界隈でそういったお話をされている方がいらっしゃるようですが、一般とは全く繋がりがない場所でやっており、社会とつながっていないので私のようにアマチュアカメラマンに近いところで活動している人間からすると「えらい遠いところで……」という感じ。

そして、別に偉いさんたちが決めたからといってそれが世界の真実であるわけではないので、やはり写真を撮る、見る側が一人ひとり、別の社会の常識良識と照らし合わせながら考え、個々に意見を持つことのほうが大事だと思うのです。

私の場合は、仮にも人に写真を教える立場に立ってしまったら、どこかに自分の足を置かなければならないわけで、あれこれ自分の感性に反しないところはどこか、と考えた挙げ句「良ければええやんけ」で落ち着きました。

だからこれを読んでいる皆さんにしても、他人の設定した正解を追う必要はないと思うんです。

成長の段階によって、やたらとぎとぎとのHDRに「すげえええ!!!」って飛びつくお年頃があったりしますが、ほとんどの人は目が肥えてしまうと「あれも面白かったけど、まあ飛び道具だからねえ」ってなってしまいますし、それで良いと思うんです。

 

 

つまり、市場といいますか相場といいますか良識といいますか、そういった写真に対する一定の人たちが持つ価値観というのは、その構成員それぞれの写真を見る側の水準によって変わってしまうものですから、優であるか劣であるか、はたまたまったく別の軸であるかは別として、自分自身で判断基準を持っていることがまずは大事だと思います。

 

 

とりとめのない文章になってしまいましたが、写真のもつ価値であるとか、写真が社会に対してどういう働きかけのできるツールなのか、というあたりもこのブログ内でやっていけたらいいなあ、という願望だけは持っておりますよ、というお話でありました。

 

 

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